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この本について
2012年11月発行の平野啓一郎さんによる小説です。
『空白を満たしなさい』は2022年にNHKでドラマ化もされているようですが、ここでは原作の本について書かせていただきます。
勤務先の会議室で目が覚めた主人公・土屋徹生は、自分は3年前勤務先の屋上から飛び降り自殺して死んだはずだと伝えられます。しかし、徹生自身は自分が自殺したという事が信じられません。自分は愛する妻と息子と幸せに暮らしていたのに、2人を残して自殺なんてするわけがない、、、屋上から落ちる直前に誰かの影に追いかけられていた記憶がある徹生は自分は殺されたのではないかと考え、その影の正体が何なのか真相に迫っていきます。
ここでは「分人(ぶんじん)」という考え方に焦点をあてて書いていきたいとおもいます。
平野啓一郎さんは、1999年に23歳で処女作の『日蝕』で第120回芥川賞を受賞しています。(当時の史上最年少)
こちらの→「分人主義」公式サイト|複数の自分を生きるによると平野さんは00年代以降「個人」という概念自体の限界を強く意識するようになり、長篇小説『ドーン』を通じて「分人主義」を生み出したそうです。
今回ご紹介する『空白を満たしなさい』は前期分人主義小説にあたり、映画化された『マチネの終わりに』、『ある男』は後期分人主義小説にあたります。
「分人」とは何か?
そもそも「分人」とは何か?「個人」という考えと比較してみると…
- 個人 (individual)
たった1つの本当の自分が存在し、様々な仮面を使い分けて社会生活を営んでいるという考え - 分人 (dividual)
中心に一つだけ本当の自分を認めるのではなく、対人関係ごと、環境ごとに分化した、複数の人格全てを本当の自分捉える
→つまり、「個人」という単位で生きていると、本当の自分ではないと思っている部分を否定したり、消したくなってしまうが、「分人」という考えに基づいて生きると自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放されるそうです。
[病んだ分人]と[健康な分人]、一体どちらが犯人なのか
『空白を満たしなさい』の話に戻りますが、この小説の世界では徹生の他にもたくさんの人が生き返っており、就職や死亡保険金の返金などについての問題を解決するために「復生者の会」というものが発足します。その総会に出席した徹生はラデックというポーランド人と出会い、彼から自殺対策のNPO法人代表である池端という人物を紹介され、池端に会いに行きます。
元精神科医の池端はたくさんあるゴッホの自画像一枚一枚をそれぞれ「分人」に見立てて、ゴッホの自殺について徹生にたずねます。
「この中のどのゴッホがどのゴッホを殺したんだと思います?」
その問いに徹生は、それぞれの自画像を指差しながら、[麦わら帽子をかぶった地味にで平凡に見えるゴッホ(2011に実は弟テオの肖像だったと判明)]が[自分で耳を削ぎ落としまい包帯姿になっているパイプをくわえたゴッホ]を殺したのではないかと答えます。
その答えを聞いた池端は、普通はみんなその逆で[包帯姿の病んだゴッホ]が[他のまともなゴッホたち]を殺したと答える、と驚きます。しかし、しばらく考えた後、徹生の答えに納得します。
池端自身も今までは、自殺未遂の常習者は[病んだ分人]が[健康な分人]を傷つけているのだと考えていましたが、徹生の言う通りその逆の方が辻褄が合うと気が付きました。
[病んだ分人]にもうこれ以上苦しめられたくないから、[それ以外の分人たち]が結託して[病んだ分人]を消そうとする。だから彼らは自分自身の住処である身体を執拗に壊そうとする、と。
つまり、徹生の死の直前に追いかけてきた影は[幸せな徹生の分人]と深く関わっていた人物で、その影は[幸せを脅かす徹生の分人]を消そうとした結果、徹生をまるごと殺してしまったのです。
自分の中の[嫌な分人]にどう対処すれば良いのか
では、私たちは自分の中に[嫌な分人]がいると気が付いてしまった時どうすれば良いのでしょうか?
その答えは徹生の友人である秋吉が言っています。
「見守る、で良いんじゃないかな。
嫌な自分になってしまった時には他の真っ当な自分を通じて静かに見守れば。」
『空白を満たしなさい』平野啓一郎(著)Audible Studios Audible 5:06:40~
私自身も、白か黒か、0%か100%か、など極端な考え方をしてしまいがちです。何か少しでも上手くいかないことがあると、今日は最悪な日だ、、、自分はダメなんだ、、、などと思ってしまうことがあります。しかし、この極端な考え方はあまり頭を使う必要がないので、ある意味「楽」だとも言えます。少し頭を使って細かい分人単位で考えてみると、仕事している時の分人はイマイチだけど、趣味に没頭している時の分人は生き生きしていたり、あの人との分人はいつも嫌な気分になるけど、この人との分人はいつも楽しく話せる!などと肯定できる分人も存在していることに気が付くことができます。
こう考えると7割ぐらいの分人は上手くいっているので、残り3割のあまり好きになれない分人のことは、否定したり、消したりするのではなく、暖かく見守ってあげようと思います。
ブログの更新も前回から随分と間が空いてしまいましたが、そんな自分の分人のことも「更新をサボるなんてダメじゃないか!」と否定するのではなく、「まあ、そういう時もあるよね。しょうがないよね。」と理解を示してあげた方が不思議と記事を書く気になれました。
皆さんも嫌な自分になってしまってつらい時は、『空白を満たしなさい』を読んで「分人」という考え方を思い出してみてください。
「分人主義」について書いてある平野啓一郎さんの著書はこちら↓